ロンドン海軍軍縮会議
ロンドン海軍軍縮会議はイギリスの提唱によって昭和5年(1930年)1月21日から4月22日までロンドンで開かれた海軍兵力に関する軍縮会議であった。日・英・米・伊・仏の世界の主要海軍国がこれに参加した。 全艦種について対米英7割の比率を要求する日本とこれに反対するアメリカとの対立が主たる問題となり、 これにフランスと地中海の制海権を競うイタリアの対仏均等の主張も加わって、会議は紛糾した。 結局日本は軽巡洋艦と駆逐艦で対米英7割、 潜水艦は均等とする条件で重巡洋艦の対米英6割の比率を受け入れた。
日本国内ではこの条約を不満とする海軍軍令部と政府との間に、先の妥協案受諾に関する政府回訓決定をめぐって、統帥権干犯問題が発生した。 浜口首相は、条約反対派の攻撃にさらされながら、軍縮の方針を堅持して難局を切り抜け、 1934年(昭和9)10月2日条約批准にこぎつけたが、その12日後、東京駅で暴漢に狙撃されて重傷を負った。